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考える。 ルインはいまも、考えている。 天使のこと、人間のこと。 天使界のこと、人間界のこと。 仲間のこと、知り合った人間のこと、天使界にいる知人たちのこと、 エルギオスのこと、ラテーナのこと、イザヤールのこと。自分のこと。 誰にとって、何にとって、そして何より、自分にとって「正しいか」ではなく。 どうするべきか、ということ。 (イザヤール、ひとりであなたも考えた?) なすべき事、なしたいと望むこと。彼ののぞみは願えど叶うものではなかっただろうから、きっときっと長い間悩み苦しんだだろう。 (ボクも探す) もし我が師がある日突然帰らぬ身となれば、何百年何千年とかけても、必ず行方を捜し出す。 そう思うと、けしてこの先あり得ないことではあるけど、心がすこし浮き立つようになる。 (ボクはもしかしたら、将来イザヤールと同じになれたかも知れない) 師を想い、けれど自分も弟子を得たら、その弟子のために命を投げ出すことも厭わない。 そんなふうに、なれたかも知れない。そう考えて自分の気持ちがわずかに慰められる。 けれど、イザヤールの気持ちのすべてまではルインのものにはならない。 彼の苦悩、彼の苦行、苦労はすべて彼自身のものであり、ルインはけしてイザヤールにはなれない。 だから考えている。 絶望と憎悪の魔宮、そう呼ぶにふさわしい、おどろおどろしく変貌した神の国を、息を潜めてひとりで進む。 ルインなど棍棒のひとふりで殴り殺せるだろう、豪腕をもつ巨体の魔物の間をすり抜け、手のひらににじむ汗に気付いて驚く。 (人間って恐がりなんだ) まだ、変化による感覚について行けない。こんな緊張も、また珍しい。 (イザヤール) 声に出さずに師を呼ぶ。師の名を呼ぶ。 (あなただったらどうする?何を望む?) もう教えを請うことは出来ないから、呼びながらも自らへと問いかける。
最上階も、彼のよどみを顕すかのよう、斜めに傾いた建物を横目に、玉座へと進む。 玉座の上に、彼はいた。 王様はいつだって謁見を待ってる。訪れる人を待っている。 だからルインにも、彼は誰かを待っているように見えた。 (誰を?) 「……また…貴様か…理に逆らえぬセレシアの走狗が何用だ」 「あなたと話しに来た」 姿形ももとの天使の面影無く、いびつに変色し変貌したエルギオスは、血走った眼差しをこちらへ向けた。 彼を前にして、以前のように手足がすくみ身動きが取れない、ということはないが、一度この身に受けた圧倒的な力を思い出し、また違う意味で身体が強ばった。 「命乞いか?罪を重ね続ける愚かなウジ虫ども…心配せずともすべての生物はあまねく私の力で滅ぼしてやるさ…滅ぼしてやる…クク…まずは貴様からだ!」 「!」 ルインは突如放たれた一撃を横に転がって交わす。 「…?バカな、なぜ貴様、動ける」 「人間になったんだ。上級天使のあなたにも膝を折る必要はない」 「そう、か…滑稽なことだ。わざわざ人間よりも高位たる天使の身を捨て人間の身に落ちたか」 置いていた手に口を寄せ、身を震わせエルギオスは嗤う。 くっく、くっくっくっくっく。 「あなただって人間が天使より下位のものとは思ってなかったじゃないか」 っく…。 「以前は知らないけどナザムで過ごしてあなたは意識を変えたはずだ。ラテーナに助けられ、この村を護りたいって。ずっとここにいたいって」 ふいにエルギオスが腕を振り上げ、巻き起こる衝撃波にルインは吹っ飛んだ。 壁に叩き付けられ、激しく咳き込む。 「…よかろう、天使を捨ててまで薄汚い人間に落ちたのだ。私もこの堕天使の姿を捨て、真の怪物になろうではないか」 「エルギオス!…ッ、」 身体を起こし、止めようと腕を伸ばすが、エルギオスは両翼を広げ、空高く舞い上がる。 (止めなくちゃ) 咳を繰り返すと手のひらに血が零れた。慌てて自分にベホイムをかけ、応急処置を施すと、もと来た道を走って戻る。 不安定に張り巡らされた通路を抜け、風のよどんだ空間に辿り着くと、赤い繭のようなものに包まれる物体がある。 (エルギオス) ルインは意を決して近づいていく。その背後から、突風と轟音がルインを襲った。 「……ッ!!」 風に突き倒され転倒したことで、龍の爪から運良く逃れられたが、顔を上げたルインは思わず短く叫び声を上げた。 「闇龍バルバロス…!」 ―――――食われてしまえ! エルギオスの哄笑が耳に響く。暗黒の上空を旋回したバルバロスは、再びルインめがけて滑空してくる。 そのあぎとが大きく開かれる。空気が燃える感覚が過ぎって、ルインの心臓がまたひとつ早鐘を打つ。手の獲物を、握りしめる。覚悟を決める。 ゴオオオッッッ!!! ルインは、目前から放たれる炎の息を、まともに受けた。 しかしその放射の間、闇龍は独自の体勢を保っているため身動きに隙が出来る。 炎に巻かれ、火だるまになっているはずの境を抜けて、小さな影が躍り出た。 「っふ、はあああっっ!!」 どしゅ、短く生々しく、わりとあっけない音がして、鮮血が吹き上がった。 闇龍の怒りの咆哮が上がる。 暴れる龍の額に獲物を突き刺し、振り落とされルインはぼとりと落下する。 ろくに受け身も取れず、ところどころ煙を上げながら、ぴくりとも動かない。 闇龍はおさまらぬ怒りを、もはや虫の息という相手にどう向けるべきかと鮮血を滴らせながら視線を向ける。怒りのあまり、気がつかない。 そして。 「…さよなら」 死んだはずの人間から声がして。 どしゅっ。 死角から飛来したつばさの形の刃物に、頸椎を深々と貫かれて絶命した。 炎を受ける前にルインが大きく大きく投げていたブーメランは、意志を持つかのような示し合わせで致命傷を与えていた。 「………」 バルバロスが壁面に翼を叩き付けながら、落下していくのを目の端にとどめ、ルインはわずかに目を伏せる。 (グレイナル) グレイナル。こんな事をしても、あの里にあの龍は還らない。 自分にバーハをかけ耐性をつけていたとはいえ、炎を至近距離から受けるのはさすがに無茶が過ぎたらしい。 (人間は体表面積の3割を火傷すると死ぬんだっけ) それは危ないかも知れない。ルインはのろのろと腕を動かし自分に治療呪文をかけるのだが、うまく魔力が循環せずに時間がかかりそうだった。 (…いたい) 意味もない思考、泣き言が過ぎる。痛い痛い。すごい痛い。 床にころがったまま、あかい繭からうまれ、もとの姿形など原型の留めぬエルギオスを見上げる。 「闇龍バルバロスをも倒したか…しかしその様子では長くはもつまい。やはりつまらぬ、人間など生かしておく価値すらない、愚かな弱いだけの存在」 悪魔の形相、両側頭部から伸びた角、禍々しくひしゃげた翼。 「その過ちを、この新しく生まれ変わった私が正してやる。もはや私は神をも越えた存在!」 緑の肌、とげとげしい尾、声までも低くしわがれて、天使とはとうてい思えない姿。 それでもルインは、紡がれる言葉に目を伏せ、もう一度呼吸を繰り返し、口を開いた。 「あなたは天使だよ。どんな姿になったって、天使以外の何ものでもないんだ」 音がしそうなほど、エルギオスが首を動かしルインを見た。 ルインはころがったまま、目だけはまっすぐにエルギオスに向け続ける。 最初から言っている。彼とはただ、話をしに来たと。 「あなたの心が誰よりも天使だから、傷つけられたショックが深すぎて強すぎる分、そんなになっちゃったんだ」 「……貴様に、私の憎悪はわかるまい…この三百年の痛み、苦しみ、嘆き…」 「わかるわけがない」 ルインは少しずつ身体を動かし、手をついて顔を上げる。 エルギオスの力がさらに強く高まっているのがわかる。戦うまでもなく勝敗は目に見えている歴然たる差。 でもやっぱり、ルインには関係のないことだった。 「あなたのことはよく知らない。だって天使界でも話が禁じられていたから。でもラテーナに聞いたから。聞いて、あなたの気持ちを考えてみた。ただの想像だけど、すごく時間を使ってずっと考えてみたんだよ」 一人きりで人間界に落ちてしまった。天使と知っても、優しくしてくれるラテーナ。あたたかな村。 すこし状況は違うけど、自分に当てはめて考えやすくはあった。 もしウォルロ村に落ちてすぐ、優しくしてくれたリッカやその祖父、ニード達に、本当は疎まれ、騙され酷い扱いを受けていたら。 「……あなたには、遠く及ばない。意味もない想像だけど、ボクもわかる。すごくすごく、悲しいだろうなって事は、わかる」 膝を着く。両手を使って、震える膝を何とか伸ばす。焦げた服は髪はそのまま、ルインは立ち上がってエルギオスを見る。 「…悲しいから、あなたを滅ぼして世界を救おうとは思わない」 このひとがもし、自分の我が師であれば。 あるいはもし、ルインの立場がイザヤールであっても。 言われたとおりに、世界のためでも、この人を打ち倒すことは出来ないだろう。 「…では…貴様はどうする、そんな状態で!我が手にかかっておとなしく死ぬか?それとも、私のもとにつくとでも?」 ルインはゆっくりと首を振る。 「ここで、あなたをずっと説得する」 「……!?」 「あなたの三百年が理解できなくても、人間の百年をかけてあなたを説得する。絶対に世界は滅ぼさせない。私はあなたの憎しみを滅ぼす」 ―――――我が師を愛している。心の底から。 きっとイザヤールも、師を深く深く愛していた。 「戯れ言を……!貴様の繰り言などに、この私が惑わされるかっ!」 エルギオスが一喝しただけで突風が吹き荒れルインの全身を針が刺したような痛みが襲う。 必死に踏ん張ったが再び背中から転倒する。起きあがれない。 それでもすぐに、顔を上げエルギオスから目を離さない。 ルインの黄金がエルギオスに突き刺さる。 映さなくなって久しい月の光が、エルギオスの怒りとも焦燥ともつかない感情に、見過ごすことが出来ぬほどの波を立てる。 「―――あなたの姿は天使を捨てても、ひとのことばを話してる。 それは恨み憎しみを吐き出すためじゃない。心を伝えるため、痛み悲しみをわかって貰いたいからだ」 「黙れ!黙れ黙れ黙れッ!目障りな…人間め……!死ねえ!!」 今度こそ、エルギオスの繰り出す打撃がルインに迫る。 死にたくはないが、死んだって諦めない。 私は人間だ、魂だけになったってラテーナのようにエルギオスを諦めない。この人は諦めない! イザヤールだって、このひとをこれ以上傷つけることを望まないはずだ。 (ああ、でも) エルギオスの腕がルインの心臓めがけて迫る。やすやすと貫通するだろう。何の構えも出来そうにない。 みんなの顔が一瞬で過ぎる。ここに来るまで色々と考えていたから、思い出すのもあっという間のことだった。 (死にたくないな。私は、出来れば) みんなともっと生きていたいな。 知らなかった。全身が震えているのだった。こんな事は初めてだった、そうか。 (人間て、死ぬのがこんなに怖いんだね) そしてルインは、瞳を閉ざす。
―――――ガキン! 「…ちょーっとお、」 ルインの身体が立てるには、少々硬質すぎる音が響いて、すぐさま目を開く。 どこにも穴は開いていない。溢れる鉄の匂いはない。目の前にあるのは、背中だった。 「あんまりうちの子をぼっろ雑巾みたいにしないでくれるー?」 「キオ…?」 紫の、まっすぐの髪が肩口で揺れていた。背を向けたままでも、その肌が褐色に色づいていることを知ってる。 「そうそう、ただでさえほうきみたいに埃っぽいんだから。いつも」 横から襲い来る炎の暴君を、エルギオスは察知して飛び下がる。 杖を振り上げて舌打ちを打つのは、ピンクの髪がやはりくるんと巻いている、猫目の。 「あれ?」 「アレ?じゃねーよボケえ!」 頭をはたかれてルインは再び地面に沈んだ。ちょ、強く叩きすぎと突っ込みが小さく入るが叩いた本人の耳には入ってないようだ。 「チビ!このバカッッ」 「ガトゥーザ?ガトゥーザ!?」 「おう本物のガトゥーザ様だよ!こんな色男がふたりもいるか!」 「いやその辺にごろごろいるよね」 「オマールちょっと空気読んで!」 いきなり賑やかになる。なぜかルインの周りには、いつもの、いつもの三人がいつものように揃っている。 手袋越しにではあるが、確かにガトゥーザの手はルインの頬を押さえる。というか顔を掴んでいるというような状態だ。 「っていうかどうやって来たの」 「ああ?きらっきらした箱みたいなのが飛んできて、ガングロのちっこいハエみたいなのがだな、ルインを助けて、ルインが死んじゃう~って頭下げて言うモンだから来てやったんだよ、仕方なくな!」 「ルインの居場所を教えろ連れてけもっと急げって騒いでました」 「実は一番全速力でした」 「うっせ、お前らはあの緑を抑えてろ!」 仲間達は手を振りながら、早く参戦しろと零してエルギオスに対峙する。ガトゥーザをからかいつつ、ふたりを眺める眼差しはあたたかい。 「…よし、生きてるな。まんまのチビだな」 頬に触れる、ガトゥーザの手にルインは手を重ねてみる。 何だかガトゥーザはびっくりしたように一度肩を震わせるが、手を引くことなくそのままにしてくれた。 「サンディ」 「ああ?」 「ガトゥーザ」 顔を上げて、目を見てみる。確かに彼は、ガトゥーザである。 ルインのことをチビと呼び、言葉は乱暴だがいつも遊んでくれる気配り上手なパーティーのリーダーだ。 「キオリリ、オマール」 返事はないが、呼びかける。 「ありがとう。死ぬのが怖かった…」 「って、うおおおお!?ちょ、おま」 気がつけばルインは涙をこぼしていた。ほたほた、ほたほたと静かに透明な雫が頬を伝って落ちていく。 「っで、あぢ!」 向こうからメラが飛んできてガトゥーザは飛び上がる。ついでに見るとキオリリが背を向けたまま、(あとで、シバく)というジェスチャーをしている。 ルインが泣くなんて、今までに一度もなかったことだった。仲間達が軽く切れるのもわかるが、泣かせたことにされてしまってるガトゥーザはあわてふためくしかない。 「な、泣くんじゃねえ!戦闘中だぞ、気を引き締めろ!」 「う、う」 「大体お前、真顔で泣くなっつーの、怖いわ!」 ガトゥーザとしては、場を和ませるつもりの突っ込みだったが、ルインの涙はさらに増大した。 やっぱり素の表情で、ぽろぽろと涙をこぼすばかりである。 「だって、泣き方、よく分かんないよ」 「あとで教えてやるわ!とりあえず泣きやめ!」 ごしごしと顔を擦ってむりやり涙を止める。ガトゥーザは赤い目元に狼狽しながらも何とか平静を保ってうし、と頷く。 「よし、俺も」 「待って」 槍を担ぎ、ふたりの支援に向かおうとするガトゥーザの腕を掴む。 神妙な表情に、ガトゥーザも口を挟まず言葉を促す。ルインはほっとしながら一息に告げる。 「殺さないで。ボクの師匠の師匠なんだ。大事なひとなんだ。出来れば傷つけたくなかった」 「師匠の師匠ね。ずいぶんドハデな師匠をお持ちで。それで死んでりゃ苦労はねえわ」 ガトゥーザは目を細める。背の低いルインにかがみ込み、額と額をぶつける至近距離で。 「選べ。俺たちゃ来ちまった。言っておくがお前がさっきみたいな無茶するつもりなら俺たちはお師匠さんをぶちのめすぜ」 「……」 だから一緒には来れなかったのだ、とは、もうルインにも口に出来なかった。 ルインのやり方は、やはり誰ひとりとして理解はされないのだから。 「献身は立派だが、ありゃ無理なんじゃねえか?口で言ってもだめなら拳で分かり合うって方法もあるだろーが」 ルインは本当に、また泣きそうな心境になっているというのに、ガトゥーザはわかりやすくて良い。羨ましい。 「ガトゥーザはかっこいい」 「お、…おうっ、今更気付いたか!よし」 頷きあい、顔を上げたふたりの目つきはもう笑っていない。 即座に駆け出す。ガトゥーザは槍を繰り出しルインは傷を負って膝を着くキオリリにすかさず回復の呪文を唱える。 「ルインっ」 「うん、ありがとう、みんな」 「アタシ達、仲間だもんねっ」 「うん」 ありふれた台詞に、目眩を覚える。人間てなんて単純なんだろう。 エルギオスを救う気持ちは変わらないのに、今は仲間達に応えようという気持ちが高まっている。 それをごく当たり前の心境に思う。 生きたいという想いが、エルギオスと向き合うという想いに勝ってしまった。 けれど逃げはしない。いまはただ、気持ちが届くことを祈って立ち向かうだけだ。
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