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天使界を色にたとえるのならば白だ。 建物の柱も磨かれた床も、静謐な空気も見渡す限りの雲海も、汚れ無き白で構成されている。 では、人間界はなんと言えばいいのだろう。 ルインは当てはめるべき答えが見つからず、ただ必死にイザヤールの肩にしがみついていた。 「これが、私の守護するウォルロ村だ」 ほんの少しの短い間という制限付きであるが、ルインははじめて人間界に降りてきていた。まだ羽根は小さくうまく飛べないため、イザヤールに背負われる形であるが。 「…う、…う」 言葉を紡げずままいるくちびるを、もどかしげに動かして、それでもルインは目に飛び込んでくる今までとはまったく異なる世界に打ち震えた。 なんていろなの。 緑、青、茶、人間界の中でも、ほんのの小さな素朴なウォルロ村。けれどそこに生きる人々の表情は生き生きと鮮やかにルインの目にまばゆく、空気さえも色づいて見えた。 「いー、あーう、まっ」 「うむ、気に入ったか」 イザヤールはルインが名前を呼んだことに気がついて、そしておさない天使の感動を察して、神妙に頷く。 「一人前の天使となったとき、お前がこの村で次の守護天使となるのだ」 (―――――それは、うれしい) きっとずっとずっと、先のことになるだろう。 しばらくはもう、こんな風に人間界を見ることも許されはしない。言われずとも今回が特別な処置であるとルインにも解ったので、守護すべき村の全景を、余すことなく焼き付けようと目を瞠った。 イザヤールにしがみつく手に、力がこもる。 天使としての使命感、そして決意の芽生えを背中越しにイザヤールも感じ取り、かすかに口元をほころばせる。 すぐに表情を引き締めると、その雄大なつばさを広げ、天使界へと羽ばたいた。
異常とも言える発育不良のおさない天使ルインを、天使界きっての実力者イザヤールが弟子にとって、すこしの時間が経った。 ルインはやはり、他の同じ年頃の天使より成長が遅いようではあるが知識の飲み込みは早く、要領も悪くなく、イザヤールが目をかけることにより特に問題なく育っていった。 むしろ憂慮すべき点は身体的なところに残されていた。 身体が小さいことはもとより、ルインはあまり運動神経が優れておらず良く転びもした。 まるで人間のような欠陥を抱えて、良くなる方法もその傾向も今のところは不明のまま。 「いざ、あーる…」 「イザヤール」 「いざ、あ、わ、は、あー…」 少しずつましになってきてはいたが、ルインの舌は相変わらず回らない。 師匠の名すら呼べない。というか、イザヤールの名前ばかりを呼びたがるので、仕方なく教えているのだが。 「師匠、のほうが呼びやすいんじゃないかしら、と私は思うんだけど」 「まったくだ。なぜあえて難しい方を呼ぼうとするのか、理解が出来ん」 ラフェットはまだ弟子を持たないため(近日迎えることになったらしいが)、ルインの世話をふたりで見ることもあった。 「あなたの名前が呼びたいんじゃないの?」 ラフェットがからかう眼差しで見やれば、イザヤールは怪訝そうに見返す。 馬鹿な、とイザヤールなどはその考えが理解できない。 師匠と呼べば個は特定できないが、ルインの師はイザヤールだけだ。弟子の声を、師が間違うはずもないのに。 「い、いざやーる!」 「あ、言えたわ」 「うむ。しかし、ルインよ。下級天使は上級天使を敬い従うものだ。呼び捨てにするなど言語道断」 「そうね、様か、師匠とか敬称を付けた方が良いわ」 「……」 言われたことは理解できる。だがルインの瞳はとたんくすむように落ち込んだ。 イザヤール、と呼びたい。 それは尊敬していないとか侮っているとかそう言うことではない。 でもどうにかして、イザヤール、と呼びたいのだ。 その為にどうすればいいのか、ルインは一生懸命考えた。
さらにすこしの時が経った。 「あ、ルインいた!ねえ、どこにいくの?」 ラフェットの弟子であり、ルインの小さな友人でもある少女が特徴的な赤い髪を見つけて声を張り上げる。 いつも落ち着き無くあちこちをうろうろとさまよい、見つけるのはちょっとした苦労を要した。 「世界樹まで。今日は天気が良いから下界の様子がよく見えると思うんだ」 手を振り、金の一瞥だけくれてルインはさっさと階を駆け上っていった。 「もー、ちっともじっとしてないんだから」 すこしくらい、お喋りやお茶会などでまったりと過ごしたい気持ちのある少女は、その点ルインに少し以上の不満がある。 最近になって急激に、イザヤールの弟子としての実力を見せ始めたルインはもうすぐ一人前の天使として認められるらしい。 身体も羽根もまだまだ小さく、身体的に劣るところは変わらないのだが。 はじめて見た人間界。ウォルロ村の景色が忘れられず、ただ一心に猛勉強をしてきた結果が報われるのだ。 友人として本当に嬉しく祝ってやりたいが、一人前になれば忙しくなり今ほど話せなくなるだろう。その前に色々と遊びたいこと話したいこともあったのに。 「ルインのばか」 鈍感な男の子みたいに、奔放で自分勝手なところのある赤い髪の天使を、けれど少女は嫌えないのだ。 「きっとまたゆっくり話せる時間もあるわよ」 「ラフェット様……どうしてもって訳じゃないんです」 ウォルロ村と人間界のことばっかりで、イザヤール様の言うことしかきかなくて、言いたいことはずばずば言うし、というかルインのこと元からそんなに良い子だと思ってないし。 「けど、ルイン。この前人間界に降りたとき、あたしに綺麗な石をくれたんです」 ウォルロ村ってすごく綺麗なところなんだよって、いつもいつも言うから、良いな、って、ぽつりと言っただけだったのに、次に行ったとき、にこにこ笑いながらあたしにお土産だよってくれた。 少女はその時のことを思いだして、くちびるをとがらせる。引き出しの中に、今も大事にしまっている石。 鉱石ですらないただの石だけど、ウォルロ村の光を集めたみたいに綺麗に見えた。 どうってこと無いことだけど、そういうところもある子だから。 「会えなくなったら、寂しいかなって思ったんです」 ルインのほうは寂しいなんて思わずに、新しい仕事に夢中になってしまうのだろうと思う。 うなだれる弟子の頭を、ラフェットは穏やかな眼差しで眺め、そうっと撫でた。 「大丈夫よ。いつだって話せるし、会えるわ。ずうっとお別れというわけではないのだもの」 会えない物足りなさ、寂しさになれてしまえば、それはもう大人といっしょ。 年若い煩悶にうなだれる少女をまぶしく思いながら、ラフェットも昔を思い出していた。 ――――――この子たちは、ずうっと会えなくなる訳じゃないのだから。
「ルイン、ここか。まったく、どうしてお前はひとつところにじっとしておれんのだ」 「あ、我が師。出会い頭のお小言ですか」 「小言を言わずに済むようつとめて欲しいものだがな…うん?」 世界樹の枝が広がる最上階で、弟子の姿を見つけたはいいが、なにやら座り込んで作業をしている。 「……お前はおそれおおくも世界樹の根本で何をしているのだ」 「タイムカプセルっての埋めてるんですよーっていた!」 イザヤールは軽くはたいただけだ。そんなに痛いわけがないが。 「お前はまた…人間界の風習を学ぶのは良いがこちらに持ち込むな。そして実行するな。しかも世界樹の根本で」 「ここが一番穴場かなあと思って…よしよし」 イザヤールに低く落とされた声で咎められても、ルインは動じた風もなく何かを埋めた上の地面を手で固める。 「…何を埋めた?」 「ソレきくんですか?」 当然、破天荒であろうがなんであろうが、上級天使に逆らえない理にルインも縛られている。 イザヤールが命じさえすれば、ルインは問いに答えねばならないし埋めたものを取り出して元に戻さなくてはならないだろう。 けれどイザヤールはあえて命じはしなかった。ただ問うただけだ。 「ボクが死んだら我が師が掘り返してください」 「…答えになっていないが」 朗らかに笑ってルインが答える。怪しいことこの上のない態度だが、ルインはいつもこの調子であり、イザヤールはこの期に及んで深く追求することをしなかった。 根本に埋めたものからは、何の力も感じられず、危険なものでないと解ったからでもある。 はじめて感じた不安や危惧を、忘れてはいないイザヤールだが。 「我が師、イザヤール」 先に世界樹を離れ駆け出す弟子を追って歩いていると、振り返りルインが呼びかけてきた。 いつになく金の両眼が神妙にこちらを見上げてきている。 「……」 「……」 しばし何も言わずに沈黙が流れた。しかし呼びかけたルインのほうが、先に飽きたかのようにへらっとしまりのない笑顔を浮かべる。 「ボクの我が師があなたで良かった」 「……うむ、そうか」 ―――――私も、ここまで立派に成長したこと、喜ばしく思う(若干ナナメ補正が入っているが) 応える言葉を、イザヤールはあえて呑み込んで、ルインと連れだって階を下っていった。
ルインが、ウォルロ村の守護天使になるまで、もう間もなくと言うときだった。
自分のことをボクと言うようになったのはこの少し前頃。
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