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「天使エルギオスの願いを聞き届けてくれたこと、感謝しますよ。ありがとう、ルイン…」 女神セレシアはそう言って微笑んだ。 ルインがいつ見ても、かなしそうでありさみしそうでもありやさしい、と、そう思う笑顔。 彼女はいつも同じ風に笑うので、ルインはそれに込められた思いを読みかねる。 「…セレシアは」 ルインはこの時、はじめて女神を呼び捨てた。 「おこないを悔いて、取り戻したいと思うことはあった?」 訊きたいと思ったのに。本当に、セレシアの言葉が聴きたいと思って訊いたのに。 彼女は静かに微笑んで、明確な答えはくれない。 ただ、さあルイン、あなたの目で確かめてきなさいと。 まるでルインの問いなど無かったかのようにされてしまう。 セレシアに対するルインの想いは、とても複雑に絡み合って、自分でもうまく説明できない。 ただ、嫌いになれないことは確かだった。 神の国にたったひとり。いつ訪れてもたったひとりで佇む人。ルインの帰る場所を根こそぎ奪ってしまったひと。 ルインが確かに、かなしい、と、理不尽だとも、思ったその事実に違いなく。けれども。 彼女がそのおこないにたいしてどう思っているのかは、どのように感じているのかは、ルインにだってわからないから。 ……嫌いではない。嫌いになれない。 ルインは、たったひとりこの無人の国に佇む美しいひとを、ほんの少しだけ好きだと思っている。 星になったみんな。酷いと詰られても、心は憎しみを抱くことが出来ない。
セントシュタインへ、まずルインは足を向けた。 カウンターの端に、ラヴィエルはいた。彼女の顔をじっと見つめると、確かに面影をかいま見ることが出来、ルインは笑いかけた。 「ルイン、ありがとう。あの星の…エルギオス様の願いをかなえてくれたんだな」 「…それなんだけど、ラヴィエル」 「うん?」 ラヴィエルの姿を見えるものは、ここにはルインだけだ。 目立つのを嫌い、滅多にラヴィエルと会話できなかったルインは、今ではステルスを行使して会話するようにしており、彼女たちを不審に思うものは誰もいなかった。 「エルギオスの願いは、本当にイザヤールへの償い?」 「……」 ラヴィエルは戸惑うように口を閉ざしてしまったが、ルインにはそれが疑問だった。 イザヤールの死の原因は、たしかにガナン帝国へ力を貸したエルギオスによるものと取れるだろう。 けれど、何かが引っかかるのだ。ルインの疑問に、ラヴィエルは静かに頷く。 「…そう。確かに星は、エルギオス様はイザヤールのため、と。しかしそうだなそれだけではないだろう。おそらく…キミのために」 「……ボクのため?」 「エルギオス様は自分が天使から墜ち、嘆き悲しんでいたとき身体を張って尽くしてくれたキミに、とても感謝をしているんだ。キミのために何か報いたいと」 恩を返したいと。 「弟子の弟子であり、そうでなくとも自分のためにここまでしてくれる、その存在がいとおしいと」 ラヴィエルはまるで、エルギオスの言葉をそのまま綴るかのように口にする。 「ボクのために?」 「キミと、イザヤールのために」 なんて、言ったらいいのかわからなくなって、ルインはじっとラヴィエルの瞳を見つめ続けた。 紫がかった夜色の瞳。やはりその眼差しにも、師の面影が見える。 「……これが、私からの最後の依頼だ」 キミと、イザヤールの思い出の地へ、足を運んでくれないか。 「……わかった」 ルインはただ、こくりと頷く。 まだよくわからなかった。 自分のおこないが、何をもたらすのかわかった後も、ルインは確信が持てないでいた。 自分のなす事は、正しい? 本当に、望むこと?自分は、望んでいること? あのひとがいないのは悲しい。生きていてくれたら嬉しい。 けれど、一度死を受け入れ、乗り越えたと思った自分が、あのひとの姿をもう一度目にして、何を考えるのだろうか、その想像は恐ろしかった。 人の死を、まさかいつか生き返るはずと受け入れるわけがない。 一度受け入れてしまったものを、もう一度手に入れたとして、納得できるのだろうか。 良いのだろうか良かったのだろうかと、この先考えながらあのひとを見続けるのだろうか。 もう一度顔を合わせたとき、自分は否定的な感情をほんの少しでも抱きはしないだろうか。 思考は想像を寄せ集めて出来た、不安の塊だった。 臆病になっている自分に辟易してしまう。それだけあのひとの喪失は自分に大きな穴をもたらしたのだから。 なにか、齟齬が生じてしまったらどうしよう。以前までのあの人と自分に、違いはあるだろうか。もしあって、それが亀裂になったら? 我が師は叱ってくれるだろうか。 叱ってくれたらいい。それだけが、不安に足下すら覚束ないルインの、たったひとつの希望だった。
ルイーダの酒場で、ガトゥーザ達に出かけてくることを伝えて、ひとりでウォルロ村に歩いて向かった。 もたもたしていたら夜になった。 すっかり暗くなった村で、ルインは目をつぶっていてもどこにでも行ける。 帰ってきた、という気持ちになる。すっかり慣れ親しんだセントシュタインとはまた違い、自分が最後に帰るのはここなのだ、と。 いつもならニードの宿屋に顔を出し、道具屋に挨拶をして、とお決まりのコースがあるのだが、ルインはゆっくりゆっくり、けれどまっすぐに村の奥へと向かう。 天使像が置かれた丘まで、少しの距離。ああ、それでも、誰かが佇んでいるのは見えた。 一瞬、白い羽根が見えた気がしてはっとなる。 (羽根、ない) 無い。どこにも、見あたらない。背中しかない、ルインが見たことがない、広い背中。 長身の男が背を向け、天使像と向き合い立っていた。 身に纏う異国の衣装も、頭髪のない頭も、見上げるべき角度も、何もかもそのまま。 (けれど翼がない) ルインはそれがショックだった。自分でも思った以上に衝撃となって、足が止まってしまった。 しばらく、その背中を見つめ続け、動くことが出来なかった。 やがて、男の方が先に振り向いた。ルインの肩が跳ね上がる。 男は、硬直したように立ちつくす、ルインの姿を認めるとかすかに目元を緩めたようだ。 「待っていたぞ、ルイン」 (イザヤール) 名前を、そう、名前を呼ばれたとたん、心があふれ出すようだった。 「ふふ…どうやら私の姿に驚いているようだな」 彼が苦笑じみて笑う。私も人間になったのだからと告げる。 一言一言、イザヤールは今までのことを話してくれる。 口を開く、言葉をつむぐ。空気に乗ってルインに届く。 ひとつひとつに夢中になって目で追う。そのたびに、ルインの胸は何だかいっぱいになって、今までの不安やおそれや動揺が、綺麗に跡形もなく吹き飛んでいく。 「あの、ふしぎな来訪者がお前だったと言うことも…ありがとう、ルイン」 もしかしたら、イザヤールも。 彼にも、いろいろな葛藤があったのかも知れない。 けれどイザヤールはありがとう、と。その言葉をくれ、微笑みすら浮かべてルインを見つめてくれる。 いい?いいのかな?良いの?イザヤール。 これでいい?間違ってない?私、間違ってなかったかな? 「我が師、イザヤール」 ようやく口を開く、こえは自然と震えていた。 出来る限り、いっぱいに手を伸ばす。イザヤールの、肩にさえも届かない。 「だき、ついても、いいですか?」 イザヤールは苦笑したようだったが、返事の代わりにルインの脇の下に手を入れ抱え上げてくれた。 一気に顔が近くなって、ルインは必死に首に手を回すと抱きついた。 ぬくもりがあり鼓動が感じられて、イザヤールの腕は力強い。 (イザヤール、イザヤール、イザヤール) 涙を浮かべるルインに、イザヤールはかすかに動揺したが、何も言わず背を叩き、髪を撫でてくれる。 「…おかしなものだ」 彼はつぶやく。気恥ずかしさと居心地の悪さを、ごまかすか宥めるかしたいという風に。 「私は、移動の時以外でお前を抱えた記憶はないのだが…ずいぶんと重たくなった」 「そんなんだと我が師はすぐ女の子に振られるよ」 ぐりぐりと、師の肩口に顔を押しつけて涙を拭う。 イザヤールは弟子の返しに、何とも複雑そうな表情を浮かべたが、不快そうではない。 「…大きくなったと言うことだ。そしてそれは、私には喜ばしいことだ」 「うん…」 目元を擦って、ルインは自らイザヤールの腕から飛び降り、着地する。 そして今度はまっすぐに、今までもそうであったように、師の顔を見上げる。 「地上に降り立ち、はじめてわかった。あの時我が師エルギオスが何を想い、人間界を訪れていたのかが…」 「そっか」 ルインはにっこりとした。それはとても、ルインにも喜ばしいことだ。 「ボクは人間が大好きなので」 「…そうだろうな。今までの行動を見聞きする限り、そうなのだろうとは思っていた」 「我が師も、少しでも同じように思ってくれたら嬉しい」 「うむ…」 イザヤールは神妙に頷いた。その様子を見ているとルインも緊張してきた。 どうにも、天使時代に師弟であったときのように気軽に接することが難しい。 なんだか、みょうにぎくしゃくしてしまう。ただ頑張って、師の瞳を見上げ続ける。 「イザヤール。あっ、我が師。あの、イザヤールって呼んでも良い?」 「…ふむ。少し複雑な気もするが、好きに呼ぶと良いだろう」 さっきから結構呼んでしまっていた気がしたが、許可が下りてルインもほっと胸をなで下ろす。 イザヤールも、幼少時からの彼女の癖を覚えている。名前を呼びたがる。侮るわけではなく、ただ名前を呼びたがるのだ。 「ルイン。強く成長したお前に私がしてやれることはあまりないだろうが…私はこれからお前とともに、この人間界を護っていこうと思う」 イザヤールは毅然と宣言する。ルインはその生真面目な様子に笑う。 肩肘張らず、いつか彼が、人間界をではなく、自分の居場所を、という気持ちになってくれればいいと思う。それに。 「何もしてくれなくたって良いんだよ、イザヤール」 笑顔が広がる。胸に満ち足りた想いが溢れて、笑顔が。 「あなたが生きたいと願って、今ここにいてくれる。それだけでいい」 「…そうか」 「叶うならばまた稽古をつけてください。無茶をしでかすから叱ってください。何かを創作したら点数を下さい。全部我が師が適任だから」 「お、お前はまだそんなことばかりしているのか…」 イザヤールのこめかみがぴくりと震える。ルインはそんな反応すら懐かしく、嬉しい。 「嫌じゃなかったら、良かったら、私の家族になって下さい。おかえりなさいって言うので、ただいまって…」 笑顔だったのが再び、くしゃりと涙で歪む。 イザヤールはああ、と頷くと、弟子の頭を今度は胸の中に引き寄せた。 「どうかずっとずっと、長生きしてください。しわしわのよれよれになるまで、生きてください」 「ああ」 イザヤールは大きくなったと思っていた弟子の、それでも小さいことに変わりない肩を抱きしめて、確かな実感を込めてつぶやく。 「ただいま」
おかえりなさい。 (2010.3.7)
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