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ナザムは辺境にあり、近隣に栄えた町や村もないことから、どこか閉鎖的で時間の流れもゆるやかにすぎていく、そんな村だ。 大都市にあるような物流も事件も、物々しさが無い分華やかさもない。 しかし平和だ。エルギオスの守護によりこのナザム村は、この三百年というものずっと平穏と安寧に包まれていた。 「守護天使エルギオス様。おかげで孫が無事子供を出産できました。ありがとうございます…」 腰の曲がった老婆が教会で大切に安置されている守護天使像に手を合わせ、祈りを捧げている。 それを中空に浮かぶ、羽の生えた男が見下ろしていた。 「…良かったね」 声に出して呟くが、老婆はもちろん誰の耳に届くことはない。 (ナザムは平和だね) 毎日言うほどの変化もない。三百年前と比べても、大きく変わったところなど無い、ナザムはそんな村である。 本来、エルギオスのような大きな力をもつ天使が、担当を受け持つほどの地ではない。 (平和すぎて、退屈だな) 誰よりも気高く白に染め抜かれた両翼を広げると、エルギオスは意識を空へと向けた。 またたきの間に一瞬で天使界の敷地に降り立つ。 「エルギオス様!」 彼の帰還、その姿にあたりがわっと声を上げ、視線を向ける。 三百年、その間天使界一の実力者として、もっとも多くの星のオーラを集めた彼の名は、いまや長老オムイについでの高名となっていた。 「おかえりなさいませ、エルギオス様!」 「うん、ただいま」 群がってきて、我も我もと世話を焼きたがる天使達を手で払い、さっと人垣の間を縫って歩く。 「…イザヤールは?あいつはまたウォルロ村?」 「はいっ。イザヤール様は本当に仕事熱心な方ですから!」 「……真面目すぎるんだよ、私に言わせるとさあ」 憧れと興奮で瞳を輝かせる天使の答えに、エルギオスは目を細め、低く呟く。 訊き返そうと首を傾げる中級天使をもういいよと追い払う。 誰もついてきて欲しくはなかった。そしてエルギオスが望めば、誰もが従わざるを得ないのだ。 それが叶うのは長老オムイと、彼の弟子であるイザヤールだけだろう。 (イザヤールがいればなあ) すこしは気晴らしにもなるかと思ったのに。 しばらく前に一人前の天使としてウォルロ村の守護をつとめるようになったイザヤールは、生来からの生真面目さでいささか仕事に勤勉すぎる。 それは誉められてしかるべき事だが、エルギオスは面白くなかった。 エルギオスが得た唯一の弟子。真面目で頑固だが、素直でのみこみも良く、本当にかわいい子だった。 (いまはなんか私よりでっかくなって可愛くなくなったけど) 彼といると退屈にはならない。媚びへつらったりおそれおののいたり、エルギオスに変に遠慮することをしない、信頼があるからだ。 そのかわいい弟子も、いまでは自分の手を離れてしまった。お互いのつとめがあるためそう頻繁に会うことも叶わない。 (つまらない、つまらない) エルギオスは自分がまだ小さな下級天使だったときのことを思い出していた。 彼は、自分を見いだしてくれた師匠の力を、その頃あっという間に追い越してしまった。 力が強すぎる天使だと師匠に責められ、危険要素だと大人の天使達に糾弾され、一人きりだった頃を思い出した。 それを、当時すでに長老だったオムイが庇護してくれたのだ。 「エルギオスよ。そなたにとって生きていくことはつまらぬものに見えるかも知れない。自分より劣るものを、弱いものを愛してみるが良い。退屈を、愛するのじゃ」 (無理だよ、長老) ナザムのことは好きだ。弱いものを愛することは(その愚かさゆえに)出来るようになったが、退屈を愛することはいつになっても出来そうにない。 エルギオスは一人自室に籠もると、書類仕事も放り出して(どうせやる気になりさえすれば瞬く間に終わる)、机に突っ伏してうたた寝していた。 「エルギオス様」 半開きだった扉を律儀にノックして、声が入ってくる。 機嫌を悪化させていたエルギオスが、何とか許せる声のうちのひとつだった。 億劫に思いながら顔を上げる。薄金の髪が影をつくりながら、禿頭の弟子の顔を認めた。 「…またずいぶんと機嫌が悪いようで」 「なんだい。私が怖いって周りの奴らに泣きつかれでもした?」 いい年になって若い者に八つ当たりをしないでください、エルギオスの弟子イザヤールは小言をぐっと呑み込んで、咳払いをひとつした。 「まあ、私自身もあなたが不調そうなのは気がかりですよ」 「………」 エルギオスは口ごもった。大人げない態度だとは解っているが、不調ではない。 不快なだけだ。退屈をしのげない日々が。心に波紋の起こらない自分が。 「私の人生で輝いていたのはお前が弟子であった時間だけだよ」 「それはありがとうございます。なら嘘泣きしながら言うのはやめてくれませんか」 ああ、やはりすっかりかわいくなくなってしまった。 昔は私が泣く真似をすると本気で心配してくれたのに(まあそんなことをやりすぎたのが悪いか) 本当は嘘だ。いまでもイザヤールはかわいい。 こうして会いに来てくれて本当に嬉しかった。けれどイザヤールはもう、正しい意味においてはエルギオスの弟子ではない。 「仕事の途中だったのだろう。行きなさい、ウォルロ村の守護天使イザヤール」 「……お師匠」 ことさらに明るく笑顔を作る。しかし言葉は絶対の力を持つ命令だ。 「行きなさい」 「はい」 一瞬顔を歪めたイザヤールだが、すぐに頷いてきびすを返す。立ち去り際に、オムイ様が呼んでいましたと、ひとことを残して。
この天使界、そしてすべての天使の中でエルギオスに命じることの出来るたった一人、長老オムイは側仕えのものを下がらせ、一息つくなり口を開いた。 「退屈そうじゃな、エルギオス」 「その通り」 目上の者を前にしても、エルギオスは取り繕うと言うことをしなかった。 「退屈で死ぬ者はいないと人間は言うけど、私は死にそうだ」 「おぬしの愛はこの世界が受け止めるには大きすぎるか」 オムイは皺とヒゲに隠された顔の奥で深く笑ったようだった。 実力だけならすでにこの長老をもしのぐエルギオスにも、時々この長老の言うことは解らない。 きっとこの長老にも、エルギオスの心中は解らない。 彼の孤独は、一生誰とも分かち合うことがない。 「どうじゃね、もう一度、弟子を取ってみては」 静かな声に促されるように、エルギオスはゆっくりと顔を上げてオムイ長老の目を見据えた。 久方ぶりに、エルギオスの虚をついた言葉だった。 「まさか」 そんな事例はない。一人の天使に弟子は一人。 一人の弟子を育て上げ、後任を譲った天使は次第に力の衰えを見せ、人で言う天寿を全うしたとしていずれは星になるのだ。 ただ、エルギオスにはいつになってもそれがなかった。 力を持てあましたまま、三百年の時が過ぎ、強すぎると長老にも推されない。 天使界でも扱いに困るような、無二孤高の大天使であるのだ。 「どうかね」 「許されることなら」 否定する言葉を口にしながら、エルギオスの心は決まったも同然だった。 イザヤールをはじめて弟子に迎えたときのことがよみがえる。孤独だったエルギオスに光が射し、鮮やかだった時間。 あれがもう一度得られるのなら。 「おぬしの力は異例。もう一人ぐらい有能な天使を育て上げてくれねば、割に合わぬと思ったのじゃよ」 「喜んで拝命つかまつります」 もとより美麗なエルギオスの顔が輝かんばかりの笑顔になる。 オムイは重々しく頷く。 弟子の選別はそなたに任せよう。 その言葉に、エルギオスは居ても立ってもいられないという様子で、そわそわと落ち着き無く長老のもとを立ち去っていった。 (願わくば、あの大天使の心を退屈から解き放つ出会いがありますように)
(弟子) エルギオスは興奮冷めやらぬ中、空を突っ切って羽ばたいていた。 (私のもうひとりの弟子) あのすばらしい時間がもう一度過ごせるのだ。それだけで灰あせた天使界が光りまばゆく、己の守護するナザム村がなによりもいとおしくすばらしく思えるような。 どんな子なのだろう。どんな子が良いだろう。 一目で選べる自信があった。エルギオスにとって、下級天使の実力、性質を見抜くなど造作もないことだ。 (イザヤールは将来有望なよい子だったから、今度は才能も何もないような子にしよう) きっと、長く私の側にいてくれる。 楽しみで歌い出しそうな心地だった。
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