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花の香りの絶えない、穏やかな陽光に包まれた、天使界。 荒天とも縁遠く、どんな外界の干渉からも脅かされることもない、天上の楽園。 さらなる高みにある、神の国への帰還を願い、天使達は星のオーラを集め続ける。 我らとは異なるおろかな人間。 その力も頭脳も心も、寿命も、なにひとつとして天使に劣るもの。 護り導かねば、何度でも何度でも相争い過ちを繰り返す。 「私は人間を信じたい」 ――――何を以て? 「人間を侮り見下したようにではなく、同じ、近い場に立ってより人間を護っていく。それこそ天使のあるべき姿ではないのかと思うのだ」 決意の籠もった瞳には、今までにはなかった穏やかさをも確かに見いだすことが出来た。 なぜ、なぜ?なぜなのですか。 「イザヤール…。おまえは自分の信じた道を進むがいい」 何があなたを変えたのですか。我が師よ。 我が師エルギオス。私はそれがわからないのだ。 確かな変化を遂げ、イザヤールを戸惑わせたエルギオスは、ついぞ教えてはくれなかった。 ―――――人間の何があなたを変えてしまったのか。 「エルギオスさま!」 止める声にも、もう視線の一瞥さえもくれずに、師はその雄大な翼を広げて飛び立っていってしまった。 羽ばたいてあとを追うほどの権限をイザヤールは持たず、何よりも深い当惑が彼の足を阻んでいた。 その時、ふと背後に気配を感じる。 「…ん?」 今の今までエルギオスと二人しか、この場にはいなかったはずだ。 当然背後に突如うまれた気配があれば、イザヤールはもっと警戒してしかるべきだろう。 しかし、何故か。 イザヤールはいささかのんきすぎるほどの反応で、振り返る。 不思議と焦りもなく、静かな驚きだけがあった。 世界樹の根本に寄り添うよう、そこに立つのは少女だった。 この天使界においてありえない、翼も光輪もない、これではまるで。 「君は…まさか人間か?何故人間がこんなところに…」 間違いなく、その者からは人間の気配が感じられた。 今のイザヤールより、すこし年少に見える姿の少女。天使界でも滅多に見たことのない、鮮やかな緋色の髪。金の眼差しがイザヤールの姿を認めてかすかに細められる。 不思議な印象の人間。魔法使いやかんなぎにも見えないが。 「いや待て。人間だったら私の姿が見えるはずがない…。私は夢でも見えいるのか…?」 これでも事態の割に落ち着いていると思っていたが、やはり動揺は大きいのか、イザヤールは無自覚にも言葉に出してつぶやいている。 金の瞳が揺れる。少女は微笑ったようだ。 「…ごほん。それにしてもどうしてこんなところにいる。私に何か用か?」 心持ち、姿勢を正して強い口調を心がけたが、うまくいかない。 常であるなら、天使界のこんな最奥部で得体の知らない人間と対峙しているのだ。もっと警戒心が芽生えても良いはずなのだが。 (なぜかそんな気が起こらない。やはりこれは夢か?) 内心のイザヤールの疑惑を余所に、少女はゆっくりと近づいてきて、イザヤールの目の前で立ち止まった。 小柄なので、イザヤールが見下ろすと頭頂部が見える。しかしそれを許さないほど、彼女はじっと、凝視と言っていいほどイザヤールを見上げてきてその目を離そうとしなかった。 「…なるほどそういうことか」 ようやく発された彼女の第一声に、またもやイザヤールは眉を寄せねばならなかった。 「…これを」 少女は羽織っているマントの下から、なにやらごそごそと探り、美しい輝きを取り出すとイザヤールに差し出した。 「これを私に?」 こくりと頷く。年齢の割に老成した雰囲気のある表情をする。 差し出されたのは、長年守護天使として学び見聞を広めたイザヤールにも、見たことがないほど神秘的な宝石。 「待て。こんな美しい宝石。受け取る謂われはない」 「あなたにあげるよう預かってきたんだ」 さすがに訝しむと、軽い調子でさらにずい、と突きつけられる。 何なのだろう。この気やすい口の利き方は。 「これは願いを叶える幻の宝石」 まじめくさって告げる少女に、イザヤールはふいにおかしくなって笑いを零した。 「ははは!そうか。私をからかっているのだな」 こんな小さな人間に身構えたりする自分こそ、滑稽なものだった。夢であれ現であれ、人間にそう大した力など無いのだから。 「せっかくだからこいつはもらっておくよ。お守りにでもするさ」 ありがとう、と告げれば、少女はそれに頷くようにひとつ、ゆっくりとまたたきをした。 イザヤールはもはや少女の存在を気に掛けないようにして、宝石を懐にしまうと師の飛び立った空を見上げる。 (それにしてもエルギオス様も難しいお師匠様だ。あそこまで人間に手をさしのべるものなど、天使界にはいなかったからな…) 「人間が嫌い?」 思考を読まれたような問いがかかって、イザヤールは内心たじろぎながら振り返る。 「人間を好き嫌いで判断したことはない」 何故か、反射的に答えてしまっていた。 エルギオスとの問答の続きが再開されたかのような錯覚に陥る。 「もし、それが叶えるものが、あなたの本当の願いでなかったら」 少女は告げる。イザヤールの目をまっすぐに見据えたまま。 「私を真っ先に殺してね。片棒を担いだ罪を償うよ」 静かな眼、凪いだ金色。 物騒な言葉をつぶやく。天使が、守護するべき人間を、殺すなど。 「お願いイザヤール。私の罪深さを憎んでいい。けれどあのひとの想いを許して」 少女の、淡々とした口調の中に、どこか痛切さが感じられる。 言葉を聴き、それはどういう事かと問いただす前に、少女は光の中に消えていった。あっという間のことである。 「何なのだ…?やはり夢か?」 しかし、とっさに探る胸元には、たしかなつめたい感触。 あの少女は、何故自分の名を知っていたのだろう。 そして、どんな罪を犯して、あのような顔をしていたのだろう。 なぜ、あのように、イザヤールに親しいものに対するような眼差しを向けたのだろう。
師匠に対する不満、疑念。そしてさらに己へと降りかかる、何かの思惑。 イザヤールは空を見上げる。大変な師匠を持つと弟子が苦労するだろう。 私もいつか弟子を持ったなら、天使界のことをきちんと教え込まなくてはならないな。 ……人間界へも、今よりももっと目をかけるようにした方が良いのかも知れない。
―――――そしてこの約百五十年後、イザヤールは。
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