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(ツルゲーネフ)(ロシアの作家、劇作家)
―――――終わりのないものなんて、羽ばたくすべを知る天使さえ仰ぎ見る空の広さ以外に答えられるか解らないのに。 自分の経歴の数百倍もの歴史を扱い管理する役職につとめる上級天使、ラフェットは我ながら重い溜息をついた。 (あー、ダメよ、ダメダメ。イザヤールの辛気くささがうつっちゃってやになっちゃう) 同期であり気心の知れたケンカ友達であるイザヤールが、妹弟子をもってさらに百数十年が過ぎていた。 堅物で超がつくほどの真面目人間だったイザヤールは、からかって怒らせるぐらいしか面白みのない男だったが、ルインが来てからずいぶんと心配性に、からかうという点ではわりと面白みが増した。 (でれっでれのくせに、アレでわりと取り繕えてるつもりなんだから笑っちゃうわ) ふんと鼻で笑い飛ばしつつ、次はどうやってからかってやろうかしらと考えをつい巡らせてしまうのだが、資料を来る手がふと、止まり、表情が再び引き締まる。 (もう、そんなに経つの) もう、と言うべきなのか、ようやく、というべきなのか。ラフェットにも解らない。 それはきっと、天使界の誰もが答えあぐねる問題である。 エルギオスの二番弟子ルインが、ナザム村の守護天使として一人前になる時期がやってきた。
「ぐすっ、う…」 最近村にやってきたばかりの男の子が、一人村はずれまでやってきては家族を思い出して泣いている。 人間には見えない光を纏い、ルインはその子の背中をじっと見守っている。 少年はひとしきり泣いた後、泣いた痕などどこにも残さず村へ帰るのだ。その道程に何の危険もないように。 「おかあさん、ボク、負けないよ…」 「大丈夫。強い子だもの」 ひとり決意の呟きに、ルインは応えるように笑顔を浮かべる。 エルギオスから引き継ぎ、守護することになるナザム村がルインは好きだった。 何もなくてもその素朴さを愛していたし、変化が無くても平穏で些細な毎日をいつまでも見守りたいと思っている。 (そうだな、イザ兄のウォルロ村みたいに) 静かな村を、静かに愛して護っていきたいと思う。 ルインはあれからも過酷な修行を耐え抜いてきたし、じゅうぶんにその努力を認められ実力もついていた。 終わりのないものがないように、大人にならない子供もいない。天使にも例外はなく、ルインはもうすぐ一人前として独り立ちをする。 来てしまった。 ――――――この時が来てしまった。
ルインひとりでもナザム村に降りることも、許可さえ下りれば次回にでも叶うだろう。 子供を無事家まで見届け終えると、上空に漂っていたエルギオスの元まで羽ばたいて近寄っていく。 「ルインも立派になったね」 「まあ、このくらいでしたら」 小さな星のオーラを得るぐらいは造作もないことだろう。いつも通りの笑顔でエルギオスは言い、仕草をルインを促す。 無言で頷いて、師弟は天使界へと帰路につく。 ナザム村は、相変わらず平穏だ。 きっと守護天使が変わっても、誰ひとりとして気づきもしないほど。 光の道から戻ると、ルインはすぐ下級天使の集まりに呼ばれたので師に礼をして立ち去ろうとしたが、背後から呼び止められた。 「ルイン、後で鍛錬場に来るように」 「―――はい」 反射的に、従順に即答してから。 (今日もまた凄いんだろうな) 思いながら、背を向けて歩き出す。 ルインの身体は、長年の壮絶な鍛錬によって傷だらけだ。 天使の屈強な肉体に、傷が残るのは本当に稀なことだというのに。 それを知っているのは、イザヤールと、当然エルギオスと、本当に親しいごく少数の天使だけだった。
用事を終え、エルギオスの言いつけ通り、かよいなれた鍛錬場への道すがら、イザヤールとはちあった。 「イザヤール様。お疲れ様です」 誰が通るか解らない回廊である。ルインにしてはめずらしく人目をわきまえ礼儀正しくしたというのに、兄弟子は露骨に怪しむように顔をしかめた。 「いつものようにしろ。お前にそのような物言いをされるとかえって気持ちが悪いぞ」 「なんて兄弟子だ。まあいいや。イザ兄は遠征帰りだよね、おつかれー」 ルインの方は怒った様子もなくすぐに態度を崩す。自分で言っておきながらイザヤールは苦笑した。 「うむ。お前もナザム村の視察帰りだろう。調子はどうだ」 「大丈夫。何の問題もなく万事良好」 「私はお前の調子を訊いたが?」 にこにこと応えるルインの表情が、イザヤールの声の硬さにわずかに揺れる。 「…あるいは、あの方の調子でも構わないが」 「………相変わらず、かなあ。」 「そうか?私には悪化の一途をたどっているように見えるが」 笑顔は崩さなかったのに、イザヤールの強い口調にそれ以上の言葉が続けられなくなってしまった。 (まいったなあ) 長い時間会わずにいても、会話する機会が無くても、この兄弟子には一目で見抜かれてしまうものらしい。 エルギオスがここ最近殺伐とした気配を放っていること。表面上はいつも以上に温厚に振る舞っているから気がかりであること。 今も毎日のように行われる鍛錬が、日に日に殺気立っていること。 「…傷を、見せてみろ」 「怪我なんてたいしたこと無いよ」 本心からの言葉だった。けれどイザヤールの眉間の皺が険しくなりルインは怯む。 「そんなわけがあるか」 「たいした問題じゃない」 本当に、些細なことだ、怪我なんて。 目下の問題はエルギオスだ。彼の現状だ。 これから向かう先で、ルインは今日こそ殺されるんじゃないかくらいは思っているのだから。 「お前はすぐそうやって己の問題を軽視する!あの方も!とうとう気でも違ってしまわれたのか…こんな…!」 「いっ!」 腕を掴まれて、袖をたくし上げられる。昨日付いた傷は特製の傷薬でも完全には消すことができなかった。 「お前にこんな傷を負わせるなんて」 (今に始まった事じゃない) ルインは賢明にも余計なひとことを出さずにおいた。今のイザヤールは軽く逆上しているようだ。 「―――あの方はナザムの守護をお前に譲りたくないのかも知れないな」 「どうだろ」 訊いたことがないからわからないよ、ルインはつぶやく。 師ののぞみなど、真意など。 もっと幼い頃は、感じることもあったが、考え解明しようと思ったことはなかった。 ただ望まれたから。つよくなれ、もっともっと、強い天使になりなさいと。 師は望んでルインを鍛えたから。ルインも強くありたいと思っただけだ。 (今はボクは、ナザム村の守護天使、やりたいんだけどな) 師の本意が、弟子に後任をと望まぬのであるのならすこし口惜しい。自分は今だってエルギオスの実力には遠く及ばぬ天使であるし、では何を目指せばよいのだろう。 (あんまり強くならなかったもんで、師匠的に一人前なんて調子乗るなって事かな) ――――それはエルギオスらしくない気もするが。 わからない。エルギオスを理解したことなど、ずっと一緒にいたというのに今までに一度もない。 それはイザヤールも同様だった。 ただ彼は、それは憧憬の対象として、遠すぎる存在として、当たり前のように思い疑問すら抱いたことがなかったのだ。 (今は悔しい。あの方の考えの一筋すら読めぬ自分が。弟子であったのに、慕う気持ちすら見失いつつある自分が許し難い) それでも妹弟子を心配し想う気持ちはあまりに大きく、看過出来かねた。 「今からエルギオス様の元へ向かうのだろう?」 「うん。呼ばれているから」 何の疑問も反感もなく、否、もしあったとしてもこの妹弟子はそうするのだろう、揺るぎない黄色の眼差しを見据え、イザヤールは苦渋の想いに眼を細める。 護らねば、と思った、出会ったときから強くなるばかりの決意に今も変わりはなかった。 「あの方は最上級の力を持つ天使。何があろうと―――なにを命じられようと、私にもお前にも逆らう権利はない」 天使の理だけでなく、師弟のくさびが心に深く突き刺さり必要以上の制限となって身体の自由のすべてを奪われる。 「ルイン、それでも、お前はあの方の元へ」 常に力強い、兄弟子の眼差しが悲しげに曇るのを、同じように悲しい思いで見つめ返す。 「―――エルギオス様の元へ行くのか?」 「うん」 イザヤールはそうか、とつぶやいたきり沈黙した。 ルインの頭に、ぽんと大きな手のひらが載せられる。 その仕草ひとつで、彼の落胆が痛いほど伝わりルインはめずらしく申し訳ない、と言う表情を表に出した。 イザヤールは苦笑する。彼の中には妹弟子が否定しないことで安堵を覚えている、と言う複雑な部分も確かにあった。 ルインは絶対に、師に背いたりはしないのだ。 疑問があっても、絶対の信頼でなくとも、離れる道を選ばない。 それはイザヤールの望みだったのかも知れない。己のなせなかった選択。 「ルイン。私はお前を愛している」 「ボクも愛してるよ、イザヤール」 屈み、背伸びをして、軽い抱擁をして左右の頬を合わせる。 「私は今も、エルギオス様をお慕いしているのだ、本当に」 「うん、知ってるよ」 必ず師匠に伝えるよ。そう頷いて、何事もなくすれ違うように、お互いの向かう方向へと進んでいった。
鍛錬場につくと、遅い時刻のためだろうか、師が退出を命じたのだろうか。エルギオスひとりが立ち、ルインを待っていた。 「来なさい、ルイン。私の前へ」 黙って従う。漂う緊迫した空気と師の威圧感はいつもの比ではなく慣れたルインも内心息を呑んだ。 「武器を取りなさい。お前の得意なもので構わないから」 言いながら持っていた細身の剣を向けられる。 何を。 「師匠」 「私と勝負して、一本取りなさい。でなければ一人前とは認められないよ」 ――――何を言われているのかが解らなかった。 (このひとは実は頭が悪いのかな) ルインは師の、身を裂くような鋭い気迫に晒されながら、半ば呆れるように思う。 万が一ルインがエルギオスに匹敵する力を持っていたとしても、危害を加えようとすれば本能により動きが止まる。そうなっている。 それは絶対の掟であり、エルギオスでも覆せない。 たとえ命令を受けても、ぎこちない動きになり勝負とはいえず、師の言う実力を示す結果にはなりえない。 「命令だよ、ルイン、戦いなさい?でなければ―――死ぬよ?」 ルインが何の反応もなく返事もなく固まったままでも、エルギオスは宣言をして剣を振り上げてきた。 硬直していても何とか動いた。けれど目では追える剣筋が、身体が言うことがきかずに避けきれない。ぱっと赤いものが散った。 「師匠…」 「きちんと剣を構えて、戦いなさい」 ルインは何とか師の暴挙をなだめようとするが、いつものように聞く耳など持ってはくれそうにない。 スパルタ指導に、無茶振りだ、あんまりだと零してみても、いつも鼻で嗤われるだけだったように。 「大丈夫。腕の一本や二本取れても、天使の技術でくっつくからね」 元通りになる。ぞっとするようなことを淡々と言ってのける。神速で繰り出される剣戟を何とか致命傷はよけ交わしているが、鍛錬場にぽつぽつと赤い染みが広がっていく。 「おまえはこんな簡単な攻めも避けられなくて一人前を語るつもりかい?あれだけ仕込んだのにてんで身に付いていないじゃないか」 「…ッ」 振り上げられた切っ先がルインの頬をかすって血が舞った。 怯んだ先にぬかるんだ地面に足を取られて体勢を崩す。 あっという間にエルギオスを見上げる形になり、喉元へ剣が突きつけられた。 「―――どっちにしても師匠相手に剣なんて振れませんよ」 全身を血で染めながら、すこしだけ困惑したようにルインはようやくそれだけ言う。 「それはお前の優しさのつもり?ああ、どれだけバカ弟子なんだろうこの子は」 大袈裟に嘆いてみせる師匠を、心底呆れた眼差しで見つめる。 「…ボクがバカ弟子なら師匠は一般的にきちがい師匠ですよ」 「まったくもう、口ばかり減らない」 胸を蹴り上げられて派手に床に転がされる。息が苦しくて激しく咳き込んでいると、構わずに足が腹の上に乗り上げてきた。 「弱い、弱すぎるよ?ルイン。お前どうしてこんなに弱いの。弱すぎて生意気だよ?」 (生意気だよ?って言われても…) こちらとしても師の反則な強さとこの不当な扱いが不満でならないわけだが。 そして、これだけのことをされても平然と話していられる己の心理状態も疑問だ。 (ああ、ボク、このひとのこと本当に嫌いじゃないんだなあ) しみじみ、思ってしまう。正直自分のことなのに訳がわからない。 強さに憧れを見いだしていたのも確かだけど、エルギオスのことを嫌いになれない理由はそれだけではない。 「どうしてこんなに弱いのに独り立ちするの」 (さみしがりや) ぽつり、見下ろされたままつぶやかれた言葉に、ルインは目を上げた。 自分がどれだけ痛めつけられて血塗れで、酷い状態なのかは解っているが。 「どうして、お前まで私をひとりにするの」 (こんなにつよくて長生きなのに、なんておろかなひと) どうしてだか、ルインは己の優位を感じることが出来る。 エルギオスが膝を着いて屈み込んでくる。体重がかかって傷に響くが、身動きの出来る状態ではなく抗議も出来ない。 鋭い刃が目の前にあった。それでもルインの目は、エルギオスの綺麗な金髪の方に向いてしまう。 「エルギオス」 師の名前を呼んでみる。そのままに。 いつもならものすごい叱責を食らうところだが、きこえてないのか返事はなかった。 変わりに手が伸ばされて、ルインに触れてくる。 傷のひとつひとつをたどられる。熱さを確かめられるようになぞられるたび悲鳴を上げそうになる。 それがエルギオスの望みかも知れない。けれどルインはうめき声ひとつ漏らしてはやらなかった。 「ボクを殺してみてもいいけど」 短い息を繰り返す。エルギオスの指先は時に傷口を探るように蠢いて声をこらえるのがやっとだった。 「あなたの涙はもう止まらないよ」 「…ルイン」 「時を止めたって、あなたのものにはならないよ」 名前を呼んでくれた。ルインはそれだけで安堵する。 そうすると気が緩んで悲鳴が漏れる。 「…っあ、ぅあ、」 「ルイン」 繰り返し名前を呼ぶ、そのたびにエルギオスの目が正気を取り戻していくように澄んでいった。とたん、ルインの傷を目の当たりに、慌てるような顔になる。 己が痛いような、傷ついたような顔をする。 ルインの怪我を探る手が離れ、代わりに顔が寄せられる。 唇が押し当てられた、と思う間もなく舌で血が拭われたのが解った。痛むず痒いような感覚に身体を震わせる。 次から次へと、上から順に傷口を唇でたどられる。 今度は痛くはないがひたすらこそばゆい。天使の口づけに癒しの効力があるのは聞いたことがあるが、直接受けるのは始めてだった。 「ひ、ぅ、や……っ」 痛みに耐えていた頃よりあっさりと声が上がってしまう。すこし楽になって暴れるが押さえ込まれてびくともしない。 傷が多すぎて湿った感触にたどられるたび身をよじって叫びたくなる。 (ど、動物にじゃれられてるみたいって言うか。相手が師匠とか笑えない) 妙な気まずさに、もういいです!と叫びたくなるが黙れと無性に低く命じられて石化する。 結果すべての傷がふさがるまでエルギオスに無言のまま治療される。 さすがのルインも恥ずかしい。これならいつものようにずたぼろになるまでしごかれていた方がましとさえ思えてきた。 「全部ふさいだね」 「そうですか…それは良かったですね…」 やっと身体を起こすことが許されたが、もはやぐったりとしながらルインはそれだけ相づちを打った。 すぐに立ち上がるかと思いきや、エルギオスもルインもしゃがみ込んだまま、身体は近いまま動かなかった。 伏せていた目を上げると、エルギオスの顔が思いの外間近にあった。笑っていない、真剣な眼差しでルインを見ている。 「…おまえは、私が怖くはないの」 「怖いに決まってるじゃないですか」 「………」 即答されてエルギオスはあさっての方向を見つめた。ルインはこんな時も真顔だ。 身体の小さなルインは、エルギオスの体と大きな翼に圧倒されるような至近距離で、不安そうに瞳を揺らす師匠へ。いつも通りに淡々と。 「怖くてもボクの師匠はあなただ」 見つめ合って、ちゃんと伝わるようにと一語一語、はっきりと発音する。 「あなたひとりですよ、エルギオス」 どうしてそれだけのことが、あなたにはわからないの。 この時になってようやく、ルインは確信を得たのだ。師の心境を。 エルギオスのこれまでの孤独と、これからの孤独を。 「これまでもこれからも、あなたはひとりにはならない。ひとりにはさせませんよ」 イザヤールがいたのだから。 そしてボクもいるのだから。 寂しかったら今までのようにはいかなくても相手をします。ときどき顔を出してあげます。 あなたがおかしくなったら止めます。危機に陥ったら助けてあげます。 ひとりでは無理なことが承知でも、きっと何とかします。 あなたの弟子は、ふたりいるのだから。 「エルギオス。寂しさをつまらなく思うのではなく、次の約束を楽しみにしてください」 師の何分の一しか生きていない弟子が、偉そうな口上を述べて言い聞かす。 エルギオスは額と額がふれあいそうな距離で、それをじっと聞いている。 「……どうして師匠の私が、お前に教えられなくてはならないのだろう」 しばらくの間を置いて、エルギオスがつぶやく。ルインは小さく笑う。 「ボクの方が弱いから、臆病だから、色々な備えとして解ることもあるんじゃないですか」 「なるほど、ね…」 頭を両手で抱えられて、こつんと額をぶつける。お互いの瞳がほんの目の前にある。 「私はね、イザヤールと、その、お前のこと、本当に、愛しているよ?」 なんか年甲斐もなく恥じらって言うのがおかしい。兄弟子も同じようなことを言っていたと思いだしてさらにおかしかった。 「二人が私を裏切るときが来たら…耐えきれず殺してしまうと思うくらい、愛しているよ?」 物騒だなあ、と正直に思いながら。そこまで思い詰めるほど純粋な、この人こそ天使なのかも知れないとも思う。 「わかりました。殺されたくはないので、ボクも愛しますよ。幸せに、してあげます」 「――――生涯の愛を誓う?」 人間の結婚式じゃないんだから、とルインはとうとう吹き出しそうになりながら、二択ならば答えは決まってる。不安そうにする師匠を満足させてやろうと、笑顔を向けるのだ。
なんか後日談も書こうと思います
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